初めてNY行った時の映像を発見しました。
あの頃のダンスの映像なんかほとんど残ってないから貴重です。
当時23歳。
なんか踊ってる姿、上半身の動きカタイし、しゃべってる時もなぜか身振り手振り
多いし、ほんと自分で見てても恥ずかしいくらいなんですが、最後の台湾人の
友達サナンダのシーンとか印象的だったんでのせちゃいます。
ほんとあの頃からアポロとか言ってたなー。
この頃はほんとまだ本気でタップやりたて。
ミュージカルの俳優になるためそれまではなんとなくタップやってて、でもその道
に失望とかして「この先どうしていこう??」と迷っていました。
でも18で専門学校でタップの授業受けてから3、4年間、なんとなくでもタップは
続けてたわけだし、「もしかしたら自分タップ好きなのかも」なんて考えてました。
で、色々悩み考えた挙句、ある時ミュージカルの道を諦めタップダンサーになることを
決意しました。
そして22歳の誕生日を期に「これからは毎日タップの練習をするんだ!!」
と決めました。
でも自分は子供の頃から何にでもあきやすい性格。
色んな趣味を始めてはやめるの繰り返しでした。
だから自分の中で目標を立てて、もしこの一年間毎日しっかり練習できて、
「タップダンサーになる」という気持ちが一年続いたら、タップが盛んな街、
NYに行こうと決めましました。
それからは当時住んでた東京中野の家の近所、「平和の森公園」で練習しました。
その公園には物置があって、ちょうどお手ごろな板も置いてあった。
夜な夜なその猫のションベン臭い板をグラウンドに持ち出してはタップをやっていました。
結局、当時やっていたバイトの関係などで練習できない日もあったんですが、
それでもほぼ目標に近いことを達成することができました。
雨の日も、警備員のバイトで使っていた上下セットのカッパを来て練習に出かけたし、
熱帯夜にも蚊の大量発生にも負けなかったし、警察や近所のおっちゃんの苦情にうまく
対応していった。
そして何よりも「タップダンサーになる。」という夢が、気持ちが一年間続いた。
そして23歳の誕生日を迎えた2ヵ月後、自分は3ヶ月のNYの旅へと
飛び立って行きました。
映像を見て振り返ってみると、ほんと当時はガムシャラだったなー、なんて思います。
英語も全く話せず、アメリカへ行って、運よくお世話になる予定だった人の家にたどり
着いて、とにかく必死になって動いてると、3ヵ月後帰るときには、沢山の知り合い、
友達ができていて。
NYってなんて素晴らしい街なんだ!!!!!
なんて今では、簡単には口にできない言葉を胸に帰国した。(笑)
あれから7年後の今もあの頃と同じスタンスで、もしくはそれ以上に近い距離でタップと
向き合うことができているというのはとてもありがたいことだし、自分一人の力でそれが
できているとは到底思えないですね。
この先もまた今の自分を懐かしく振り返れるように、しかっりタップ踏んで
いきたいですね!
ぴーす、
まさと
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