今日は父、西谷宏の4回目の命日。
この日に実家に帰って仏壇に手を合わせてない自分に後ろめたさを
感じるけど、仕方ないですね、、。
去年は確かこの日にとても長い日記を書いたのを覚えている。
今回も長くなるかな、、。
父は人間は本当に死んでしまうということを俺たち家族の前で
見せつけ、そして教えてくれた。
それはもう自分の人生の中では見なかったことにしたいくらいの、
壮絶な死にざまだった。
今日はそんな父の死を通しての母、西谷充子の話をしたいと思う。
俺が今、人類でもっとも愛する女性(笑)
母はとてつもなく明るいひと。
母の兄弟が言うには天性の明るさで昔からということ。
話し好きで、俺の友達が毎日家に遊びに来てた時は毎回顔を
出して話していった。
当時は煙たかったが今は懐かしい。
父と美容室を営んでいて、人あたりもよく毎日お客さんと接する
ことができるこの職業は母の天職なんだと思う。
これは父が息をひきとる2、3日前、父の体から魂が抜けていって
しまった時の話だ。
人工透析のあと急に昏睡状態に陥った父は数日後、目を覚まし
俺と最後の会話をした後また深い眠りについた。
寝たきりの父を母と兄、俺、家族三人で囲んでいる中、担当医が現れ
義務的な検診をし、お腹に溜まった腹水をチェックしていた。
ポンポンと2、3回ほど叩いただろうか。
その時は何もなかったのだがしばらくして父は急に苦しみだし、
この世のものとは思えない表情で、もがきはじめた。
もう形容する言葉がないほどの表情。
人間があんな顔をするなんて。
俺達3人は生まれて初めて見るその光景に恐怖し、立ちすくんで
しまったが、すぐさま看護婦を呼ぶボタンを押した。
もがいてる父にどうすることもできず、泣き叫びたいくらいだった。
そんな中、なかなか現れない看護婦に母は激怒し、
「人が苦しんでる時に何もたもたしてるんですか!
早くして下さい!!」 と怒鳴り散らした。
その母を俺と兄貴は妙に落ち着き払った口調で
「母さん、いいって。やめろって。」っと母の怒りを沈めようと言葉を
発していたのをはっきりと覚えている。
看護婦さんは医者の許可なく特別な処置をすることはできないと
思ったし、彼女達自身この状況を見てもどうしていいかなんて
わかるわけないって思ったから、、。
とにかくいつもお世話になっている彼女達の前で体裁をとりつくろう
ために俺達二人は、母をなだめようとしていた。
「いいって、母さん、やめろって、、。」
「いいわけないでしょ!! あなた達、何やってるんですか!!!
早く来てください!!!!」
母は父のために一生懸命叫んでいた。
やっとやって来た看護婦さんたちと医者は、もがく父に痛み止めをうち
何とかその場をしのいだ。
一度頭をおかしくさせられたいつものモルヒネだろうか、、。
もうその後の父の姿は魂が抜けた、抜け殻のようだった。
もう死んでしまったんだな、となんとなく感じた。
しばらくして俺と兄貴は外にタバコを吸いに出た。
つい数十分前のことを思い出しお互い恐怖を確認するかのように
語った。
そして母のことも。
「母さんすげーよな」って。
「普通あんなことできねーよな」って。
毎日お世話になってる看護婦さんに怒鳴り散らすなんて。
俺達二人は何とか平静をを装って看護婦さんを待ってることしか
できなかった。
ほんとは「早く助けてくれ!」って叫びたかったくせに。
ほんとは「父さん死なないで!!」
って人目も気にせず父に泣きつきたかったくせに。
それができなかった。
生きていく上で人前で感情をコントロールしていく術を覚えた自分は
ただただ平静を装い、目の前で起こっている事を受け
流そうとしてた。
でも苦しんでいた父が欲しかったのはそんな平静さじゃない。
一刻も早くこの痛みから解放されたい。
それだけだったと思う。
そして母はそんな父のために感情をあらわにして叫んだ。
いつも美容室では笑顔を振りまいている母。 普段他人なんかに
怒るなんてことはない。
でもこの時は父のために必死になって叫んだ。
父が最終的に息を引き取った9月6日。
形式的な「ご臨終です」という言葉とともに、父、そして俺たち三人の
戦いは終わった。
主治医が最後に、「これまでの治療の中で、ご不明な点、ご意見等
ありますか? 今後の参考にさせて頂きたいので。」
と聞いてきた。
その時も母は治療の中で納得がいかなかった点、なんで父が腹痛で
病院に行った時、胃薬だけ渡され帰されたのか。抗がん剤をやめた
後に腎臓に負担がくることくらい家庭の医学書にさえ載っている等、
涙ながらに訴えた。
普段感情を表に出してはいけないとされる看護婦さんも泣いていた。
後ろから見ていた母の小さな背中はたくましく心強かった。
横で寝ている父の無念をすべて母が代弁していた。
兄貴、そして死んだ父もそんな母の姿を誇らしく感じていたと思う。
医者が父を殺した。
そうもとらえられるような疑問の残る死だった。
医学のことが全くわからない一般人はたいていの場合何も言えず
泣き寝入りだろう。
母の叫びが主治医の心に届いたことを願っている。
「優しさとは勇気である。」
それがこの父の死を通して強く感じたことの一つだ。
人はみんな優しい。
人に気をつかって笑顔を振りまいて。
人の相談にのったり励ましたり。
けど本当に人が助けを必要としている時、手を差し伸べることができる
人はいったいどれくらいいるだろう。
なりふりかまわず、他人が直面している困難のために一歩足を踏み
出す勇気を持った人がどれくらいいるだろう。
さらに自分も困難な状況に陥っているとき、他人のことを考る心の
余裕を持つことができる人がいったいどれくらいいるだろうか?
それはきっと簡単じゃない。
こんな時、本当の勇気というものが必要になってくるんだと思う。
本当の優しさには勇気がいる。
人の目や、後先を考えることがないくらいの強い心がいる。
人間は弱い。 みんな弱いし、怖がり。
でも弱いけど、立ち上がらなきゃいけない時がある。
結局何か困ったとき助け合うことができるのは人間同士、生き物同士
だけだから、そういった「人を思う」という気持ちを忘れちゃいけない、
と思う。
母のように強くありたい。
勇気を持ちたい。
母は俺の憧れです。
もちろん父も。
父、母、兄に無限の愛をこめて。
まさと
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