自由な街で、自由であるために、踊り続ける in NY
New YorkでのTAP活動の様子、皆に役立つ情報なども載せていきたいなー。

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おばあちゃん。

9月5日、

おばあちゃんが亡くなってしまった。 

94歳だった。


母方のおばあちゃんだけど、父の命日は9月6日だし、なんか不思議な感じ。

父を育てたそのおばあちゃんも9月6日に亡くなってるし。

しっかり身内を迎えに来ているのかもしれない。


お通夜に行けないので弔電を打った。

NYに長くいると結婚式等にも出席できないので電報を打つ機会も増えた。


初めて書く弔電、書き出し方がわからないので、インターネットで例文を探してみた。

どれもたった一行くらいの形式的な挨拶がほとんど。


そして死というものに対してネガティブな表現ばかりが並んでいるのに驚いた。


どれを見てもいまいちピンとくる言葉がない。


父が死んだのはまだ61だったし、悔いとか悲しみといった気持ちの方がほとんど

だったけど、おばあちゃんはなんといっても94歳。


「死は生の熟れたカタチ」ともいう。

もちろんこの世からいなくなってしまった悲しみもあるんだけど、その天命を全うした

姿には尊敬の念を抱かずにはいられない。

畏敬とか敬慕の念といった表現がしっくりくる。


もっと死を敬うような表現が増えたらいいのにと思った。


でもきっとそうじゃない亡くなり方の人が多いんだろうけど。


父が死んでから、他の人の死や病気のニュースを意識して見るようになった。


年齢のとこ見るとみんな父のようにけっこう若い人も多い。

人間というのはほとんどの人が、だいたい80歳くらいまでは生きれるもんだと

思ってたけど、どうやらそれはあくまでも平均らしい。


だからそうじゃない人も沢山いるし、自分もそうじゃないかもしれないと考えて

生きるようになった。


でもできれば自分も長生きしたい。

いつかしっかり老人になりたい。


なんか世間では老後をマイナスイメージで捉える風潮がある気がする。


定年退職後の寂しさを語った映画があったり、テレビ番組があったり、

周りの友達はどんどん亡くなって、娘、息子とは離れて暮らして、結婚相手にも

先に逝かれて、最終的には一人になって、、、


という話やイメージが多くある。


自分も老後を経験したことがないからわからないけど実際そうなのかもしれないし、

そうじゃないかもしれない。


ただ思うのは人間として生まれて幼年期、少年期、青年期などがあり、

それを通して最終的に老年期というのを経験したい。


神様が人間に与えたそのプロセスの一つをしっかり味わいたい。


でも上記に書いたように誰もが老人になれるわけじゃない。

なれない人も沢山いる。


だからもし万が一自分がそれを生きる機会を与えられたなら感謝してそれを

歩みたいと思う。


たとえそれが辛くても。









おばあちゃん、お疲れさま!

そしてありがとう!!!!!


まさと



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Author:MASATO NISHITANI
New York でタップダンスやってます。

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