自由な街で、自由であるために、踊り続ける in NY
New YorkでのTAP活動の様子、皆に役立つ情報なども載せていきたいなー。

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西谷 宏


9月6日、


今日は父、西谷宏(にしたにひろし)が死んでから3回目の命日。

父は骨髄腫という10万人に一人といわれる血液の癌により、61歳で

人生の幕を閉じた。


この父親の死について声を大にして言いたい事は山ほどある。

死んで一年間くらいは何で父が死ななきゃいけなかったのか、変わらぬ

現実を嘆き、医者を恨んで過ごした。


まあでも今日はそういう事を書きたいわけじゃないから、詳しいことは

また来年にでも。


お通夜の夜、俺は会場でタップを踊った。

曲は坂本九の「上を向いて歩こう」


23歳のとき初めてNYへ来た時、タップマスターのバスターブラウンが

亡くなった。 その時のお葬式で、彼を知る友人たちが生前のバスター

について語り、セイビオンなどのタップダンサーが、天国にいるバスタ

ーにタップを捧げた。


魂が震えた瞬間だった。


自分がやっているタップダンスというのは自己表現でお客さんに

アピールするだけでなく、人に対して感謝の気持ち、その他の想いも

伝えることができるのだなと思い、自分が選んだ道に確信がもてた瞬間

だった。


だから父が死んだ時もこれを思い出し、母親や親戚に自分の考えを説明

して、どうしても父親のためにタップをお通夜で踊りたいんだと懇願し

納得して貰った。


お通夜には急な知らせ、朝刊の死亡欄に載っただけに関わらず沢山の人

が来てくれ、会場はあっという間に埋め尽くされた。

自営業で30年間同じ土地に腰を据え、ゼロからお店や人間関係を築き

上げてきた父を誇りに思えた。


この日本のお通夜といわれる場所で踊るタップは、間違いなく場違い。

みんな死んだ父を偲びに来たのに、このバカ息子は何やってるんだと思

われはしないかと不安もあった。

しかし、そんな不安とは裏腹に、踊り終えた俺に人々は会場が割れんば

かりの拍手をくれた。

何人もの人の泣いている姿が見えた。


お通夜だったけど嬉しかった。


でもこの、「西谷宏さんがずっと応援してきた息子、まさとさんが感謝

の気持ちを込めてタップを踊ります!」という司会の言葉で始まった

俺の踊り、実はそれがすべてではなかった。


もちろん感謝の気持ちを捧げる。それもある。

だけど俺の心の奥底にあった一番大きな気持ちはこれじゃない。


俺がこの日踊る上で一番考えていたのは、

「インパクトのある通夜をやる」 それだった。


インパクトのある通夜をして、少しでも多くの人に少しでも長いこと 

父の事を覚えておいて欲しい。この先どこかでタップを見た時、自分や

家族の顔を見た時、この日のこと父親のことを思い出して欲しいという

願いだった。


あと踊りながら「これが西谷宏の息子だ。どうだスゲーだろ!? 家の

父ちゃんはこんなん育てたんだぞ!!」って気持ち込めてね。


父の偉大さを叫びたかった。


こういったことは通夜前日に母親にだけは伝えておいた。


自分の身内が死んだ場合、感謝の気持ちっていうキレイな言葉だけで踊

れない。 NYで見た理想は現実となって自分という人間の本質を教えて

くれた。



「人間死んでしまったらお終い」 これは母の口癖だ。


母親とは死んでしまった父についてよく話す。

「今日は誰々さんが線香あげに来てくれたよ。誰々さんからおっきい

花束届いたよ」などの報告もしてくれる。


父が死んでしまって3年。


恐ろしいほど時は早く過ぎ去り、悲しいかな父のために家を訪れる人も

減っていく。

今だにほんとに父のことを考え「毎日拝んでますよ」なんて言ってくれ

る人は親友の二人くらい。 あとは俺たち家族。


3年も経つと少しずつ現実が見えてくる。


「最後までその人の事を思い続けてるのって結局身内だけだよね」って

話もよくする。


時の流れは人の悲しみ苦しみを憎らしいほどに俺たちの感情から殺ぎ取

っていく。


インパクトのある通夜をやってやる!! なんて意気込みで踊った

あの夜のこと、今なお思い出してくれる人はいるのだろうか?

と考える。

何かの拍子に頭に浮かんでくる人はこの先少しはいるかもしれない。

でもあの時、御通夜や葬式の時のような気持ちで父のことを感じてくれ

る人はほとんどいないだろう。


自分の愛した父が周りから少しずつ忘れ去られていく。 それは息子と

してとても悲しい現実だ。 できれば受け入れたくない。



うん。でも結局それが人間というものなのかもしれない。


人は忘れていく。 父親との会話、思い出すべてを覚えていたいけど、

それも曖昧になっていく、、、。


でもその反面、最近違う考えも自分の中に生まれてきた。


確実に父の意思、魂は自分の体に取り込まれているということ。

きっと生前の父と接した人々も、言葉の端々から感じる父の考えや

意思が無意識に体を通過し、その人々の体のどこかで僅かばかり

父の心が宿っているのではないかということ。


記憶は消えていくけど「おもい」は受け継がれていくのかもしれない。


人間無意味の上に成り立っているとは到底思えないからね。


歴史に名前を残した偉大な人物もそうでない人も、きっと自分の意思が

受け継がれている事を喜んでるに違いない。



生きることの「はかなさ」と「おもしろさ」を語り続けた

作家・池波正太郎は書いている。


「人の墓も三代を経れば無縁と相なるが世の常でござる。まして、

わが名、わが家名など世に残そうとはおもいませぬ」


「いつか世の中と無縁になる」それは考えてみると、とても恐ろしい

ことだよね。

でもだからこそ人は生きる。

儚く尊い人生だからこそ一生懸命生きる。


激しく移り変わっていくこの激動の世の中でいつかは忘れ去られていく

自分、いつかは終わってしまう長くはない命、そういったものすべてを

受け入れて、じゃあこの先いったい自分に何ができるのか、何を大切に

生きていくのか、もっともっと自分の芯を深く掘り下げて考えていきた

い。


きっとすべては単純なことではないかと思うけど、、。


そして「我以外皆師ナリ」の精神で一生学び続けていきたいと思う。

未熟な自分も受け入れつつ、、。




愛する父へ無限の愛をこめて



ピース、

まさと























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MASATO NISHITANI

Author:MASATO NISHITANI
New York でタップダンスやってます。

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